Gibsonの歴史 SGはLes Paulだった?!

Guitar
1914年製Gibson Mandolin Style-aのラベル

GibsonはFenderと並んでエレキギターを代表するブランドです。Gibsonの歴史は100年以上とFenderよりも古く、ハードロックギタリストからJazzギタリストまで幅広く使用されています。そんな歴史ある老舗Gibsonの歴史を見ていきましょう!

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Gibsonの起源(1894年)

Gibson社の起源はOrville Henry Gibson(オーヴィル・ヘンリー・ギブソン、1856-1918)が1894年にカラマズーにてマンドリン製作を始めたことに遡ります。後の1902年、楽器販売会社 「the Gibson Mandolin-Guitar Mfg.Co, Ltd」を設立。1904年には株式会社となります。オーヴィル・ギブソンはその後1907年ごろから入退院を繰り返すようになり、1908年にはジョン・W・アダムスら筆頭株主に会社経営を任せ、製作上のコンサルタントとして一歩身を引きます。その後1918年に亡くなっています。

1914年製Gibson Mandolin Style-a

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Lloyd A. LoarとFホールの発明(1920年代)

マンドリンやハープギターなど様々なアーチトップ楽器を製作していたGibson社に、音響技術者であるLloyd Allayre Loar(ロイド・A・ロアー)が1919年に入社したことで、楽器の歴史は大きく変化します。ロイド・ロアーはFホールの発案に加えて、アーチやブレイシングの形状など様々な要素を確立しました。1920年代に製作されたロイド・ロアーのサイン入りマンドリンF-5は、現在2000万円以上の高値で取引されています。

GibsonのFホール

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初めてのアーチトップギターL-5(1922年)

1922年Gibsonを代表するアーチトップギターL-5が発表されます。世界で初めてFホールを採用したアーチトップギターの誕生です。Gibson社の最高機種として発表されたL-5は、後のジャズギター界のスタンダードへとなります。

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初めてのフラットトップギターL-0とL-1(1926年)

1926年にはGibson初めてフラットトップギター、L-0とL-1がラインナップに加わります。共にMartinドレッドノートサイズよりも小ぶりなタイプで、L-0はマホガニーサイドバックL-1はメイプルサイドバックという仕様でした。1928年にはL-0,L-1を元にしたGibson最初のアーティストモデルNICK LUCASをリリース。現在では当たり前のようにあるアーティストモデルも当時としてはとても異例なことだったようです。

Gibson Custom Shopで製作された L-0 ALL Mahogany

ヘッドロゴも再現されている

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時代はエレクトリックへ(1932年)

1932年になると世界で初めてのエレクトリックギター、アドルフ・リッケンバッカーの会社による通称フライング・パンが発売され、世の中はエレクトリックギターの時代へと進んでいきます。

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Gibson初のエレクトリックギター(1935年)

1935年そんな中でGibsonも同社初のエレクトリック楽器であるスティールボディーのハワイアン・ギターを製作しますが、特にモデル名なども付けられませんでした。1936年、スティール製ハワイアンギターを製作した翌年、エレクトリックラップスティールギターES-150を発表します。チャーリー・クリスチャンタイプと呼ばれるシングルコイルピックアップを搭載し、小ぶりなメイプルボディー仕様でした。

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Les Paul氏と”ログ”(1941年)

1941年、1930年代からエレクトリックギターを研究していた発明家でありミュージシャンのLes Paul(レス・ポール)がGibson社に自身が製作したギターを勧めるために持ち込みます。ログ(LOG)と呼ばれるこのギターは、Epiphoneのギターを元に製作されています。アイデアを実行するためにレス・ポールは週末になると毎週のようにEpiphone工場を訪れており、その時手に入れた廃棄されたEpiphoneギターにパイン材の”羽”を搭載したものでした。この時はGibsonギターの広告塔であるレス・ポールの頼みであるにもかかわらず、Gibsonにあっさりお断りされたそうです。この同年、ハムバッカーの開発者であるセス・ラバーがGibsonに入社しています。

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買収とTed McCARTYの存在(1944年-1950年)

1944年、CMIがGibson社を買収。1902年から社長を努めたジョン・W・アダムスは退社しました。1946年には、P-90ピックアップを発売します。1949年には新機軸となる2つのモデル、初の3ピックアップ搭載のES-5と初のカッタウェイモデルのES-175をリリースすることになりました。

その後1950年、Gibson社にとって重要な人物Ted McCARTY(テッド・マッカーティー)が社長へと就任し1966年まで社長職を努めます。在籍中の功績は凄まじいもので、従業員は約12.5倍、利益は約15倍と、Gibson社を大きく大きく飛躍させました。レスポールやエクスプローラー、フライングV、ES-335などはテッド・マッカーティが在籍時に製作されたモデルです。経営だけでなくエンジニアでもあったテッド・マッカーティーは、ギターの開発にも貢献しています。テールピース一体型のスタッドブリッジやチューンOマチック/スタッドテールピースなどはテッド・マッカーティーの開発したものです。同年1950年にはFender社がソリッドエレキギターEsquierや後のBroadcaster/Telecasterを発表します。その時Gibsonの社長に就任したばかりのテッド・マッカーティーは、まずは静観してFender社の動向を見ようと思ったそうです。また、Gibsonでもわけなく同様のモデルを作れるだろうとも思ったそうです。

Les Paulの誕生(1952年)

Fender社のソリッドギターは発売当初こそ嘲笑されたものの、抜群のサスティーンを持った新しいギターは瞬く間に人気になりました。その動きに注目したテッド・マッカーティーとCMIの社長モーリス・バーリンの支持によってGibsonはエレクトリックギターのプロトタイプを製作開始します。1952年、1年の研究時間を費やし、当時Gibsonと関わりがあり、全米チャート1位2位を共に獲得するなどしていたレス・ポールのアーティストモデルとしてゴールドトップのGibson Les Paul Modelを発表します。その後Gibson Les Paulは様々な仕様変更を行いながら1960年まで生産され、一度生産を終了します。

Gibson公式サイト:Music Radar による1952 Gibson Les Paul Modelのレポート: “歴史的名器”より引用

ハムバッキングピックアップの開発(1955年)

1955年テッド・マッカティーの名によってセス・ラヴァーがハムバッキングピックアップの試作品を完成させ、特許を出願。最初にハムバッキングピックアップが搭載されたのはLes Paulでは無く、1955-1956年にかけてマルチハープなどの8弦ハワイアンスティール・ギターに搭載されました。6弦用のものよりも大型でポールピースも16本あったそうです。その後、発表の時を伺いつつ1957年にLes Paulへ搭載します。この時代のハムバッカーがP.A.F.と呼ばれる由来にもなった「PATENT APPLIED FOR(特許出願中)」のステッカーは1957年後半からで、他社への牽制する意味合いで貼られたようです。

Original P.A.F

時代を先行したFlying VとExplorer(1958年)

1958年にはテッドマッカーティーの元、モダスニステックギターとしてFlying VとExplorerを発表。前衛的で全く新しいデザインを採用したギターは、当時は受け入れられず、Flying Vは98本、Exploerはそれよりももっと少ない数の出荷のみで直ぐに生産終了しています。

極少数のみ生産されたスプリットヘッドエクスプローラーを再現したGibson Custom Shop 1958 Mahogany Explorer Split V Head VOS Heavy Antique Natural 2019

コリーナ材を使用したオリジナルのエクスプローラーをマホガニーで再現するというコンセプトで作られたGibson Custom Shop Limited Run 1958 Explorer TV Yellow 2014

世界初のセミアコースティックギターES-335(1958年)

更に同年の1958年に世界初のセミアコースティックギターES-335が発表されます。徐々に広がり始めたソリッドギターへ未だ抵抗のあった層を取り込むべく、テッド・マッカーティーらGibsonエンジニアスタッフが、フルアコとソリッドギターのちょうど中間となるようなギターを狙い製作しました。

Gibson Custom Shop 1959 ES-335 Dot Lightly Aged Antique Sunburst 2017

新しいLes Paul = SG(1961年)

1961年、Les Paul Standardのモデルチェンジが行われ、Les Paul Solid Guitarモデルが完成します。Les Paul Standardでは評判が良くなかった重量や対策として、メイプルトップやカーブトップを廃止し、軽いマホガニーボディーにコンター加工を施しました。1964年にLes Paulとの契約が切れ、Solid Guitarの略であるSGと呼ばれるようになりますが、元々はLes Paul Solid Guitar(= Les Paul SG)として販売されており、1961~64年頃の初期個体のトラスロッドカバーには「Les Paul」と刻印されています。ピックガードもLes Paulを彷彿とさせる小型(=通称:スモールピックガード)で、後にラージピックガードに変更になります。

 

Gibson Custom Shop Historic Collection ’61 SG Standard Reissue VOS Maestro Hand Select 2015

Firebierd(1963年)

1963年、CHRYSLERで活躍していたカーデザイナー、レイ・ディートリッヒがデザインしたGibson Firebirdをリリース。スルーネックにミニハムバッカーを搭載し、独特かつスポーティーなデザインを持つスタイルはGibsonに新しい印象をもたせました。ボディー形状が変わるなどの大きな仕様変更を行いながら1969年まで生産されます。

1964年製のGibson Firebird III

Les Paulの再生産(1966年)

1966年に発売され爆発的なヒットを記録した「ビーノ・アルバム」でEric Claptonが使用するなど、様々なアーティストの影響によって、1960年代後半、中古Les Paulの人気が高まっていました。1967年にGibsonはレス・ポールと再契約。1968年に再生産を開始しました。

Gibson Custom Shop 1968 Les Paul Custom VOS Antique Ebony 2016

ノーリン社による買収と低迷期、Nashville工場の設立(1969年)

1969年ノーリン社がGibsonの親会社であるCMI社を買収。製造工程の機械化と大量生産のためにNashville(ナッシュビル)への新工場移転が決定します。すぐにナッシュビルへと移れない職人もおり、しばらくはカラマズーとナッシュビルの両工場が稼働していました。カラマズーでは初期のバーストのコピーモデルや限定・アニバーサリーモデルなどの特殊なモデルを少数生産していたようです。ノーリン社に買収されたこの時期はGibson社にとって低迷期と言えるでしょう。収益は落ち込み、ノーリン社はそれでも収益を確保するため、カラマズー工場職人のボーナース・昇給はカットされ、親会社と社員との板挟みになっていた当時の社長も退職しています。1980年に入る頃にはカラマズー工場の伝統を重んじる気持ちも低下してしまっていたそうです。その後1984年にはカラマズー工場を閉鎖することになりますが、伝統的な元Gibson工場は、賃借りされる形で一部の元カラマズー工場従業員と共にHeritage Guitars(ヘリテージ・ギターズ)ブランドとしてギター製作を続けることになります。

1981年カラマズー製のGibson ES-335 Dot Cherry

現在のGibson社へ(1985年)

1985年、現在の経営陣がノーリン社からGibson社を買収したことによって、復興がはじまります。新しいGibson社はフラットアイアン社(マンドリン製作会社)を買収し、自社のアコースティック製作の拠点となるモンタナ工場とします。ナッシュビル工場は引き続き稼働し、エレクトリックギターが作られていきます。1980年代後半からHistoric Collectionが立ち上げられた1993年までの間に作られたリイシューモデルはPre Historicと呼ばれ今なお人気のあるモデルです。

Gibson Les Paul Reissue Heritage Cherry Sunburst 1988【Pre Historic】

日本製のOrville by Gibson(1988年)

1988年フジゲンにて製作される日本製の公式ライセンスギターブランド「Orville by Giibson(オービル バイ ギブソン)」がスタートします。創業者のOrville Henry Gibsonの名から命名されています。1970年代から日本でコピー品を作っていたフジゲンは、実は1977年にGibsonに訴訟されているのですが、フジゲンが日本での商標を既に登録していたために、Gibsonが敗訴していました。フジゲンは商標を譲渡する形で和解しています。

Gibson Custom Shop設立へ(1991年)

1991年にトム・マーフィー(Tom Murphy)エドウィン・ウィルソン(Edwin Wilson)により、Gibson USAファクトリー内にカスタム・オーダーを受け付ける部門が開設しました。1993年12月、ついにCustom Shopとしての独立した工房が準備され、その立ち上げに前述の2名を含む7名程度の選りすぐりの人材が集められ、この年にHistoric Collectionが登場します。

その後のGibsonの歴史

2000年: Gibson ESシリーズの製作拠点としてメンフィス工場が設立。このMemphis工場は2005年にカスタムショップの傘下に入ります。
2006年: 日本代理店だった山野楽器とGibsonの契約が終了。日本法人Gibson Japanが国内モデルの流通を行うようになります。
2012年: 木材の違法輸入で罰金。エボニー材を違法輸入していたとして木材の押収と罰金が行われ代替材として、一部モデルに樹脂のリッチライトが使用され始める。
2013年:メンフィス工場がGibson Memphisブランドとして独立
2015年:Hsitoric Collectionに変わり新たなフラグシップラインTrue Historicの登場
2017年:CEOであるJuszkiewiczが辞任し、新たなCEOとしてJames Curleighを任命
2018年:Hsitoric Collection復活
2019年:メンフィス工場が閉鎖。同時にGibson Memphisブランドも消滅。
2021年:Tom MurphyによるMurphy LABが登場